2010/09/12 さてと。海外びじねすについて語り合おう!パート4 カテゴリー:
あらかじめ言っておきます。海外を意識したのは25歳の時にNYへ行ったことがきっかけです。
始めて行った海外で多国籍な現地人の熱気に翻弄され、朝から晩まであるきまくりました。
たしか睡眠3時間程度を5日ぶっとおしました。その中での体験が今でも忘れられない記憶として、憧れとして強くあります。
いつか自分も海外へ。そのために手に職を身につけよう。帰国後そう思い立ち開業への準備をすすめました。
それから5年経過した30歳の時に一風堂NYがオープンするということで、大先輩の河原さんのお誘いもあり、けいすけさんと行きました。そりゃーすごかったいっぷうどう。
現場のスタッフさんたちが眩しかった。そりゃー。その光景をみて僕もスタッフたちとこんな経験がほしいと思った。
河原さんや千葉さん達と食事に行き帰りの居酒屋でのことです。
「いくたぁ〜お前も日本の凪をだれかに任せて、こういうところでも働いてみれやぁー世界が変わるばい」←ニュアンスはこんな感じです。
※そういえば、今年、けいすけさんは100%独資でシンガポールに出店。僕はまだ完全独資ではなく現地パートナーではありますが、不思議な気分ではあります。やはりけいすけさんは常に時代のリーダーを独走する風格があるんですねー。
河原さんが言いたかったことは理解しました。
「世界が変わる」
先日の器量の話ではありませんが、やはり「事を成す」にはとても大切なものがあると思います。
大いなる志、そして器量だと。
僕は失敗をしたことがないという人を信用しません。それは絶対に踏みどころがわからないから。
もし、失敗をしたことがないとと言い切る人がいたら、そして今成功しているというなら、もっと成功できる可能性があると思います。
それを避けてしらずしらずに安全なエリアのことをやっているにすぎないと。なによりもチャレンジをする部分がないと面白くないっすものねー。もっとバカになれってことですかねー。
それは今東京で頑張っている凪のスタッフからぜひ発信をして欲しいところです。
僕らはまだ30代前半(厳密には何名かは過ぎています(笑 僕ら世代がチャレンジしなくてどうするのかと。ましてや、凪スタッフは大将生田を筆頭に頭のおかしな集団であるべきと。そういう期待も知らず知らずに背負っているの。
ばかぁになれ、バカが一番。今バカにならずいつバカになる。っと思います。
話もどしてー「世界が変わる」この言葉に自分自身の可能性を広げる原点を見た気がしました。
僕は仕事ができるタイプではありません。
一つあるとするならば情熱としつこさでしょうか。
あとはだれがみても不器用なタイプです。
でも僕はそのことに感謝しています。
不器用だからまわりが助けてくれます。
助けて頂くものだから僕は感謝します。
そのサイクルがずっと続いています。
僕自身ここ香港に来たのは、日本の凪を捨てたのではく、閉塞感のある日本を飛び出し外の空気を日本へ吹き込めることができばとそんな想いからです。日本と食の街香港のコラボレーションはきっと現場に光を灯し新たな可能性を広げてくれるものだと信じています。
また、香港の先には広大な中国が広がっています。僕は欧米やアジア諸国ではなくあえてこの地にフォーカスしたのはその将来性です。
海外は本気です。単身乗り込んだ姿勢はその点にもたぶんに含んであり現地パートナーたちへの理解へとつながっています。
まだ続くよ。