2008/09/18 立ち席 カテゴリー:
渋谷でも開店当初はありました。なじみのお待ちの間にどーぞー席です。
☆新宿でも設けてみました。
気になる本などおいちょりますので、一杯と共にどうぞ。
私はこのデッドスペースを使った席を毎回つくりたがるのです。「並んでも、待っても食べたい」というお客様が「現れた」時ように・・・そんなお客様と、自分の実力を計るバロメーターとしても利用します。なので、空席を見るたびに、もうちょこっと頑張らねばと思うわけです。
そんなものに込められた思いってとても大切だと思うわけです。
掃除の時に(新宿)床はたわしは使わずに、雑巾ですますとか。(これはただたわしの保管スペースの問題もありますけれど、安易にたわしでこすって綺麗にするよりも、基本汚さない&すぐに拭く週間を付けるみたいな思いがあります)
トッピングの大きなのり(新宿)に込められた思いとか(ヒミツ)
それぞれの凪のロゴに込められたものとか。
それらがときに背中を押してくれるものであり、立ち止まり振り替えるきっかけになるものたちだと。
だからいい加減過ぎる適当な仕事ならやらないほうがいいと思うわけです。
何かにせよ、意味を持って生きるということの楽しさは、出会いやチャンス、はたまた不幸?やネガティブ、決め事、決められ事、なことにも意味づけをして、それを楽しむエネルギーに変化し、ちょっと変わった人生を歩むことでないだろうか。
今僕の代わりに、ミスタームタが立川から麺を運んで来てくれています。とても重い作業でありつらい仕事を彼はやっています。また玉子や単純だけど基本的な仕事もお願いしてやっていただいております。
そんな彼の成長を見ながら、意味を持って仕事をすることを第一に感じて頂けたらと。やはり、指示の仕方にもよりますが、やらされる仕事に成長はありません。すなわち成長のない仕事は所詮やらされていると一緒です。しこたま5感をフル稼働して、割った20個の玉子の経験値は、やらされ割り玉子1000以上の価値があります。玉子割りにたいした意味は見出せないと思うやからはとても心の狭いかわいそうな人だと僕は思います。たった玉子だけれど、そうやろうと思うか思わないかでぜんぜんちがうのです。何が違うって言葉だととてもむつかしいのです。